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小倉さん
投稿者:
本所の隠居
投稿日:2007年11月 2日(金)01時00分11秒
編集済
<世捨人さん>
こんばんは。いつも書き込みありがとうございます。
いつの間にか消してしまった小倉閣下の画像を・・・(クリックすると大きくなります)
伊藤公資料館6
投稿者:
世捨人
投稿日:2007年10月31日(水)01時27分15秒
かつての伊藤神社の威儀厳重な様です。
往昔を思えば、感慨もまた新たなるものがあります。
これで見学記はおしまいです。
あんまりなようでしたら、削除してください。
伊藤公資料館5
投稿者:
世捨人
投稿日:2007年10月31日(水)01時25分10秒
かつて神域入口を照らした燈籠が二基だけ残っています。
寂しい感じです。
伊藤公資料館4
投稿者:
世捨人
投稿日:2007年10月31日(水)01時10分48秒
県社伊藤神社跡地です。
大正8年に竣工し、大正12年には県社に昇格しましたが、昭和34年に束荷神社に合祀・撤去されました。
現在公園になっており、本殿跡に銅像があります。団になっているところが、拝殿と本殿の跡です。
伊藤公資料館3
投稿者:
世捨人
投稿日:2007年10月31日(水)01時03分42秒
記念館二階洋室内部です。
内装も復元されています。
壁紙やブラインドも残っていた当時のものから復元してあります。
伊藤公資料館2
投稿者:
世捨人
投稿日:2007年10月31日(水)01時01分31秒
この写真は伊藤公記念館です。
暗殺直前の明治42年に遠祖・林淡路守通起300年遠忌法要に備えて設計・着工され、翌年完成したものです。
山口県指定有形文化財であり、近年復元修復が行われました。
門柱も古いものです。
伊藤公資料館
投稿者:
世捨人
投稿日:2007年10月31日(水)00時56分1秒
先に申しました山口県光市に寄贈された伊藤博文の大礼服類が、伊藤公資料館で10月31日まで公開ということでしたので、無理して行ってきました。
残念ながら写真撮影が出来なかったので、大礼服の報告はニュースで写真も出回っているので、やめておきます。
しかし、ここには伊藤公の公爵大礼服(未展示)・朝鮮統監制服(展示)が所蔵されていましたので、宮内大臣大礼服、侯爵大礼服が加わって一層の壮観となっています。
一回は見る価値が充分ある所です。
ただ、ものすごく辺鄙な所にあるので、一回半日行けばお腹一杯という感じです。
ちょっと連続画像貼り付けして申し訳ないですが、せっかくなのでご紹介します。
ここは伊藤博文の生家のあった所で、生家が大正8年に復元され、平成3年に改修されています。
写真は生家です。ものすごく小さいです。
水原秋桜子五歳
投稿者:
世捨人
投稿日:2007年 9月 8日(土)00時32分51秒
更に追加、五歳の秋桜子です。
この写真帖、道子夫人のものでした。
道子夫人は長女ということもあり、母の治子氏から相当可愛がられたようで、母方の実家(大谷木氏?)に伝わった写真類も贈られたようです。
実家水原家の写真も沢山残っており、秋桜子の一連の写真は貴重なものだと思います。
伊藤賢三軍医中将の写真
投稿者:
世捨人
投稿日:2007年 9月 8日(土)00時23分10秒
ついでにアルバムも入手したのではっておきます。
ご長男の結婚式の時の写真です。
伊藤中将の向かって右が道子夫人、左が新婦です。新婦の後ろが新郎、その隣は次男です。
景雲章もしっかり佩用されています。
なお、道子夫人は、俳人水原秋桜子の実姉です。
秋桜子は宮内省侍医も務めましたが、こうした華麗なる閨閥があったんですね。
実家も、偉大な婿殿をもつ道子夫人には頭が上がらなかったようです。
景雲章
投稿者:
世捨人
投稿日:2007年 9月 8日(土)00時16分50秒
松屋様のお仕事、すばらしいです。
当時の素材、当時の技術で造られたものを偽物といえるのでしょうか?
陸軍大将大礼服、肩章もそうですが、シルエットが明治四十五年制なのが残念ですね。
明治天皇大礼服も、細部はやや甘いようです。
明治天皇大礼服の由来については、『太陽』大正元年九月臨時増刊号「明治聖天子」追悼号に掲載されている、明治五年の西国巡幸に随行した有地品之允の回想が信用できます。
なお、こちらの掲示板はこまめにチェックさせていただいております。
やはり管理人様がいらっしゃらないと寂しいですね。
あまり皆さんの興味をひかないかもしれないですが、今回おもしろいものを手に入れたので、ご紹介します。
陸軍軍医総監伊藤賢三の満州帝国勳一位景雲章一式です。勲記以外は揃っています。
伊藤賢三軍医中将は関東軍軍医部長をされていたので、贈られたのです。
康徳元年(昭和九)三月一日の満州国帝政施行に伴い、同年四月十九日勅令二十七号で景雲章等が制定されますが、真っ先に叙されたのです。なお、伊藤氏は、昭和九年三月十六日に予備役編入されますが、その四月二十九日に旭日大綬章を授けられています。そのため、景雲章の大綬は全く使用されていません。
興味深いのは佩用免許と第一師団副官部満州留守参謀西山副太郎名で発行された勲章現品伝達文書との日付の違いです。
叙勲直後の昭和九年五月九日に佩用允許されますが、現品はそれから一年半経った昭和十一年十二月十二日に送付されています。おかしいのは、佩用免許されているのに、佩用願提出の注意がなされていることです。
帝政施行後の大量叙勲で造幣局も追いつかなかったのかもしれないですね。
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